嚥下リハビリ外来について
嚥下機能改善を始めたきっかけ
当院では、ご高齢者の嚥下(飲み込み)機能の改善をサポートする「嚥下リハビリ外来」を行っています。
「昔のように、家族皆で揃って楽しく食事がしたい」
これは、寝たきりのご高齢者やそのご家族なら、誰もが一度は思い描く理想です。しかし、現実は食べ物がうまく飲み込めず、食事のたびにつらい思いをされている方がたくさんいらっしゃいます。また、チューブで胃に栄養を投与する胃ろうを余儀なくされている方もいらっしゃるでしょう。
食事は、人生の中でも大きな喜びのひとつです。人間らしい生活を送るためにも、しっかり噛んで食事をとることはとても大切です。
そんな人生の楽しみを取り戻すお手伝いがしたいという思いから、当院では嚥下機能の改善を目指す「嚥下リハビリ外来」を開設しました。嚥下機能とは、飲み込む力のことです。嚥下機能を回復すれば、入れ歯を作ってまた楽しく食事ができるようになります。
嚥下機能を回復するには
嚥下機能の低下は、唇と舌の筋肉が弱くなることで起こります。では、唇と舌の筋肉を強化するにはどうしたらいいのでしょうか。唇と舌は筋肉のかたまりです。そのため、鍛えれば確実に強くなります。唇と舌の筋肉を強化することにより、いつまでも自分のお口で美味しく食事を楽しむことができます。
本来、嚥下機能はおっぱいを飲むことで自然と鍛えられます
人類の進化過程では、自然環境の中で生活し、動物を捕獲したり植物を採集したり、自然の食物を摂取してきました。人工的に食物が栽培され、家畜が飼われて、それを食糧として生活したのは農耕文化が入ってきた縄文時代以後のことでしょう。
前期弥生時代の農耕民の遺跡から、親子の牛の遺体が発見されています。土師器文化期になると家畜の飼育が盛んになっていることから、1400年前には牛乳の飲用が行われていたと考えるのが妥当だといわれています。そこでは、子どもを育てる場合には母乳による保育が行われていたことは当然ですが、家畜の乳を母親代わりに与えたことも考えられます。牛乳の与え方も、器から直接飲ませたり、匙のようなもので与えたりしたのではないかと想像されます。
粉ミルクを哺乳瓶で飲ませるのが一般に広まったのは、戦後になってからのことです。牛の乳を哺乳瓶で飲ませるようになった歴史は比較的新しく、1897年(明治30年)前後にオランダ製口吹ガラスのものが、ごく一部の人に使われたのが最初といわれます。それまで竹の筒におかゆなどを入れて飲んでいました。
進化過程を再現する胎児
宇宙の惑星である地球上に生命が誕生したのは、今から40億年前にさかのぼります。太陽からの紫外線を避けて海中に原生動物が誕生し、その後デボン紀に硬骨魚類が生まれ、進化をした魚は両性類として陸に上がってきました。その後、爬虫類が生まれ、哺乳類が出現しました。
ドイツのヘッケルは「個体発生は系統発生の繰り返しである」という説を唱えました。これは、卵から発生が進んで成体に達するまでの過程は、その生物が辿ってきた進化の過程を短時間で再現している、というものです。
母親の胎内で1個の卵子と精子が結ばれ、受精卵ができ、生命への第一歩を迎えます。その後、母親の羊水の中で39週間を過ごします。その12~15週間には、羊水を飲み始めると同時に、生まれてから母親の乳頭に吸い付くための準備運動である指しゃぶりを始めます。このことは、最近の超音波診断器の発達により証明されています。
生まれてからは、しばらく経つと手と足を使って上手に腹這いを始め、高這いを経て、体を浮かせて立ち上がります。これは、生物の進化過程と同じ経路を辿っているようです。海水中の魚から両生類として陸へ這い上がり、爬虫類を経過して哺乳類となり、直立二足歩行が完成するのと同じということです。
お乳は、吸ってもらって初めて出る
人間の胎児は、哺乳動物としては未熟のまま生まれてきます。つまり、大脳皮質が良く発達しているため、頭が大きく自力で立ちあがることができません。そのため自分から母親のお乳を吸いに行くことができず、母親からの授乳により生命が保たれます。
小児科医は「お乳は、出るから赤ちゃんに吸わせるのではなく、赤ちゃんに吸ってもらって初めて出るのです」と訴えています。人間の進化過程で、現在のように人工的に哺乳瓶を用いて母親の代わりに授乳させてきた時代はなく、それは乳児の成長に大きな影響を与えています。
どんな乳頭の形態といえども、人間の乳首に勝るものはありません。乳児期に良い歯列(歯並び)を作り出す大きながっしりとした顎を母乳によって作り上げる必要があります。母親の胸に抱かれての授乳は、生まれたばかりの赤ちゃんにとって最大の運動であり、額に汗を流しながら夢中になって母親の乳頭に吸い付き、疲れ切ってすやすやと眠りに入ります。しばらくすると、思い出したかのように再び吸い始めます。
この行為は、お口周りの筋肉発達、歯並び、発音に非常に重要であり、哺乳瓶を使った誤った哺乳行動は、舌の機能障害を生む要因となります。その結果、ディスクレパンシー(歯並びが悪くなる)を引き起こしたり、嚥下機能に影響を与えたりすることとなるのです。
飲み込みの訓練
食事中、むせたり飲み込みにくいことがあれば
口腔機能訓練機器「ラビリントレーナー」などを使って、舌圧、口輪筋の筋力アップから始め、摂食嚥下機能の改善を目指します。
近頃テレビを見たりラジオを聞いたりしていると、発音の悪い人が目立って多くなってきた気がします。それも戦前・戦後の食糧事情があまり良くない時代に育った中高年の人には見られず、景気回復の兆しが現れてきた昭和30年代以後から、飽食の時代といわれる現代に生まれた人たちの中に多く見受けられます。
最近の若い人、アナウンサーやキャスターでさえも発音の悪さが目立っているのはなぜでしょうか。「サシスセソ」と「タチツテト」の発音が区別できず、甘ったるいような、聞き取りにくい発音をしている人がいます。
このような人を気にして見ていると、例外なく歯並びが悪く、オープンバイト(前歯が開いている噛み合わせ)の人が多く、特に前歯が叢生(歯並びが悪い)で、犬歯が八重歯になっていて大変気になります。
このような歯並びの状態の人たちは、ただ単に見た目が悪いだけでなく、将来審美性の問題や顎関節症の治療の必要性を抱えた潜在治療困難患者であり、将来必ず歯科治療を希望して来院することが予想されます。
飲み込む力の低下を改善
若い人の発音の悪さが目立つ時代であると同時に、高齢者の方は嚥下機能の低下が深刻な問題となっています。
2010年の統計によれば、総死亡数の半分以上が日本の3大死因と呼ばれる「悪性新生物」(がん)「心疾患」「脳血管疾患」で占められていました。しかし、2011年の1~11月末までの概算値の累計によると、それまで4番目だった肺炎による死亡数が脳血管疾患と入れ替わり、3大死因のひとつになりました。
これは高齢者の人口が増え、誤嚥性肺炎が増加したことが影響していると考えられます。誤嚥性肺炎とは、飲み込む力が衰えた高齢者にみられる疾患であり、嚥下(飲み込む力)機能の低下によって引き起こされる肺炎のことです。
現在、高齢者の誤嚥性肺炎に対する対策はほとんどされていません。今後、超高齢社会を迎えるにあたって、肺炎による死因のリスクはさらに高まると考えられます。当院では高齢者の飲み込み訓練をとおして、誤嚥性肺炎のリスクを少しでも抑えることができればと考えています。
当院の飲み込み訓練
当院ではおもに「ラビリントレーナー」による口腔機能訓練を行っています。「ラビリントレーナー」とは、当院の顧問である稲葉繁先生が開発した口腔機能訓練機器です。
「ラビリントレーナー」を使用することにより舌圧、口輪筋の筋力が向上し、嚥下機能が改善されます。また、しっかり飲み込めるようになることで、消化吸収から排泄までの流れもスムーズになります。さらに、お口を閉じられるようになるため、鼻呼吸もできるようになります。
そのほかにも嚥下体操や嚥下食などを活用し、しっかり飲み込める体づくりのお手伝いをいたします。
嚥下訓練器具の使用と効果
口腔機能訓練機器「ラビリントレーナー」について
当院の嚥下(飲み込み)の訓練では、口腔機能訓練機器「ラビリントレーナー」を使用します。ここではラビリントレーナーの発案の経緯についてご紹介します。
以前、日本にしばらく滞在していたドイツの大学の歯学部教授から「日本の若い人には、犬歯が唇側転移している例を多く見かけるが、なぜなのか」という質問があり、かなり日本人の歯並びの悪さが気になっている様子でした。欧州では、八重歯は恐ろしい吸血鬼ドラキュラの牙と同様に見られ、あまり良い印象を受けないために、そのような質問が出たのではないかと思います。
ドイツでは乳幼児の顎の正しい発達のために、Dr. MullerによりNUKのニップル(哺乳瓶の乳首)が開発されました。これは、乳児の発達程度に合わせてニップルの大きさやミルクが出る穴の大きさを変えて使用できます。この乳首の持つ機能は、母親の乳頭に最も近似していて、乳児が正しい舌の使い方をするとミルクが出るように設計されています。
哺乳(おっぱいを飲む)行動と人工授乳
正常な哺乳行動では、乳児は母親の乳頭を口にくわえ込み、乳首を舌先で強く口蓋に押し付け、数か所の乳管開口部から分泌される乳汁を飲み込みます。そのとき、唇に力を入れて吸引しながら下顎はわずかな前後運動をすると同時に、舌は口蓋へ押し付けられます。その結果、乳児は舌の正しい動きを学習し、口唇に力が付き、口蓋は広大し、歯が生えてくる十分なスペースを確保することができます。
人工授乳においても、このような哺乳行動を行わなければ、正しい顎の発達は望めません。NUKは、この点を考慮して開発されたものです。つまりNUKのニップルでは、ミルクの出てくる穴が口蓋側にあり、舌で押し付けることによりミルクが口蓋鄒壁に沿って排出され、舌いっぱいに広がったあと飲み込むように設計されています。同時に咀しゃく筋(お口周りの筋肉)の発達を促し、お口の周りの機能は正常に発達してきます。
適正でないニップルの弊害
通常市販されているニップルは乳首が長過ぎ、そのうえ大きな穴が先端にあり、しかも空気の取り入れ口まであるために、哺乳瓶を傾けただけで自然にミルクが流れ出してきます。こうしたニップルを用いた場合には、乳児の意思に関係なくミルクが出てくるため、乳児は何の努力をしなくても、ただ飲み込むだけでよくなります。
この場合、乳児は舌を細長く丸めてニップルを包み込み、自分の意思とは関係なしに出てくるミルクをストップさせるために舌を前方に押し付け、ピストン運動をするように前後に動かします。その結果、人生の出発点である乳児期に間違った舌の運動を学習してしまい、嚥下(飲み込み)運動の際、舌を口蓋鄒壁(こうがいすうへき)に押し付けることができず、前に押し出す癖を脳に刷り込んでしまいます。
このような癖を持ったまま成長すると、不正な歯並び、それに伴う発音の異常、さらに顎関節症など、さまざまな症状が現れることが予想できます。
問題はアンバランスな筋肉の使い方
嚥下(飲み込み)運動の際、口蓋鄒壁に舌を押し付けた場合には舌が下顎側にあるため、下顎は後退し、顎がリラックスできる位置とほぼ一致するため、バランスを保つことができます。逆に舌の突出癖がある場合には、下顎は飲み込みの回数に応じて前後に動きます。通常、嚥下(飲み込み)は1日に600~2,000回といわれるので、この癖を持つ人は、正常者に比較して、下顎の前後運動に関与する筋の疲労が増すことが当然考えられます。
舌は下顎の水先案内の役目をしており、舌を前に突き出せば、それに伴って下顎は自然に前に出て行き、舌を側方に出せば下顎も同じ方向に移動します。したがって舌の動く方向に下顎も移動します。舌を突出させる嚥下(飲み込み)運動は正常な筋肉の使い方ができず、頬筋、口輪筋、オトガイ筋というお口の周りの筋肉の緊張が強く現れてきます。
このようなアンバランスな筋肉の使い方の結果、臼歯は頬筋の緊張の影響で頬側から力を受け、歯並びは狭まり、前歯が広がり臼歯は内側に倒れてくる、Ωオメガ型歯列を形作ってしまいます。
舌圧の研究
嚥下(飲み込み)をしたときの口腔周囲の筋肉の圧力に関しては、舌側からの圧力よりも強いといわれています。「正常咬合者と不正咬合者の上下前歯部における口腔筋圧の研究」という根津の報告によると、正常咬合者の場合、安静時には、上顎唇側圧平均7.2g/cm2、同舌側圧平均10.1g/cm2、下顎では唇側圧8.6g/cm2、舌側圧14.6g/cm2であり、上下とも舌側圧が唇側圧を上回っていました。
さらにつばを飲み込むときでは、上顎唇側圧は60.0g/cm2、同舌側圧は123.2g/cm2で、舌の圧力が唇の圧力の2倍を示したという、興味ある結果を得ています。この報告から、舌の力と唇や頬の力の不均衡が起きることにより歯並びが悪くなることは、容易に納得できます。
大切なのは見かけだけでなく、根本を治すこと
歯並びが悪い方は、嚥下(飲み込み)の際に上下の歯列の間に舌を突出させています。「サ行」「タ行」「ラ行」の発音の際にも舌の突出が見られ、明瞭な発音の違いを区別できない結果となります。このように歯並びが崩れた治療に際しては、矯正治療や被せ物の治療を行うことがしばしばあります。しかし、見かけだけの修正という現象のみを治しても、その症状を現した原因を除去しなければ、発音の異常やお口の周りの機能異常を治癒させることは不可能です。
「生命現象とは、内部環境を恒常に保つための努力である」といわれます。生きている人間の心身は動揺しつつ安定を保っているものであって、もし恒常が破れて安定状態に戻ることができないほどになったとき、それは病気となって現れます。そのため、人間の体全体を考えたとき、どの部分から見てもバランスがとれ、左右・前後に偏らないことが理想です。
ラビリントレーナーは、このような舌の癖、飲み込むときの癖を治すために開発されました。そして発案後、さまざまな効果があることを発見しました。
口腔機能訓練機器【ラビリントレーナー】
ラビリントレーナーは、当院の顧問である元日本歯科大学高齢者歯科学教授、稲葉繁先生が発案した口腔機能訓練機器です。食事が飲み込みにくかったり、食事中にむせたりするなど、飲み込む機能が低下している方の訓練器具として、高齢者施設などでも広く利用されています。
現在、日本では年間およそ8,000人の方が誤嚥性肺炎、つまり食べ物による窒息で亡くなっているといわれています。そのほとんどが65歳以上の高齢者です。
●食事中にむせる、せきこむ
●食物を飲み込みにくい、食べるのに時間がかかる
●食べこぼしがある
●飲み込んだあとに声がかれる
●食物がのどにつまる感じがする、胸につかえる
●唾液(つば)が減ってきた、口が渇く
●唾液が多い、よだれが出る
●肺炎や気管支炎を繰り返す
上記のような症状がある方は、嚥下(飲み込み)機能の衰えが考えられます。ぜひ、意識してみてください。
ラビリントレーナーは、『ラビアル=唇』『リンガルは=舌』という言葉を合わせた造語ですが、唇と舌の動きを鍛える訓練器具として開発されました。舌と唇、そして嚥下(飲み込み)に必要な筋肉を鍛えることができるラビリントレーナーの発案には、40年もの間、研究を積み重ねてきた歴史があります。
ラビリントレーナーは、こうして生まれました
今から40年以上前、ラビリントレーナーの発案者である稲葉繁先生が大学院生の頃、顎関節症の患者様に舌の圧痕や歯の形の圧痕、口蓋鄒壁の肥厚を見つけたことがすべての始まりでした。顎関節症と舌壁(舌の間違った使い方)には何か関連があるのではないかと考えたのです。
それから10年ほど経ち、今の筋機能療法学会の大野先生という方が連れてこられたアメリカのツィックフーズという医学療法士の講演を聴く機会がありました。お口周りの筋肉を鍛える筋機能療法「マイオファンクショナルセラピー」についての講演です。
講演後、ツィックフーズ先生に稲葉先生は「顎関節症と舌壁の関係についてどう思われますか?」と質問したそうです。しかし、答えは「わからない」だったそうです。当時はまだ、顎関節症と舌壁の関係については研究されていなかったのです。
その後、稲葉先生は舌の働き、さらには嚥下(飲み込み)機能について研究し、
●咀しゃく
●嚥下
●発音
これら3つの機能を育てるには、哺乳(おっぱいを飲む)行動が大きく影響していることに気がつきました。さらに研究を進めるうちに、間違った嚥下(飲み込み)機能をしているとさまざまな障害があることがわかりました。
こうして嚥下機能を向上させる必要性を感じ、ラビリントレーナーの発案に至ったのです。
それから、稲葉先生はある店で見つけた温度によって形が変形するシリコンを使って、自らの考えを形にしていきました。口の中に入れ、唾液(つば)を飲んでみたり口の周りの筋肉を動かしたりしてみて、最終的にできあがった形が、まさに今の『ラビリントレーナー』の原型です。そしてそれは、同時に舌の機能を40年間研究してきた集大成でもあります。